ウイニングポストEX 1997~2007年
リセット・馬券・牧童イベント禁止、育てるのは最初にもらった牝馬1頭の子孫のみ、という縛りプレイです。

初期設定で選ぶ牝馬はマックスビューティの牝馬が出るまでやり直す。マックスなら父は何でもいいかなと。1回目でいきなりサンデーサイレンス×マックスビューティという凄い配合が出てきたけど、残念ながら牡馬だった。つか、EXは最初の馬からサンデー産駒なんてもらえるのかよ。3回目でやっとマックスの娘が出てきたが、父がよりにもよって最底辺種牡馬のランニングフリーかよ。ま、最初から強くても面白くないからこれでいいや……この時はそう思っていた。
1997年

1月にサクラ(牝、ランニングフリー×マックスビューティ)がデビュー戦を迎える。レースでは逃げていたが、直線でずるずると馬群に沈んでいった。あちゃ~と思っていたが、そこから凄い追い込みで差し切ってしまった。これこそ、ウイポEX名物の「逃げ差し」って奴だ。すっかり忘れてたぜ。しかし、その後は全く勝てず、秋にようやく2勝目をあげた。ランニングフリーじゃこんなもんか……この時はそう思っていた。
1998年

2年目になってようやくレース登録が可能になった。もう一頭最初にもらっていたが、4歳になったらすぐに牧場に引き取ってもらった。その後も条件戦でウロウロしていたサクラだったが、暮れに格上挑戦させたターコイズSに勝って、ようやくオープン入りできました。どうやら晩成だったようです。これで何とか繁殖入りはできそうだな……この時はそう思っていた。
1999年

確実に繁殖入りさせるためにもと、ほぼ確実に勝てるオープン特別を中心に使う。重賞でも上位には入れるようになってきた。10月になり府中牝馬Sで待望の重賞初勝利。重賞勝ったし、年内で引退させてしまおうかとも考えていたのだが、思い出にと出走したマイルCSで1番人気。まあ、勝てるレースばかり使って連勝していたからだな。と思っていたが、レースでもあわやのハナ差2着。あれ?結構強いのか?
2000年

ひょっとしたらと思い現役を続行してみる。そして安田記念を3馬身差で圧勝してG1制覇してしまった。


結局、秋にもマイルCSとスプリンターズSを連勝して短距離G1を総なめ。最優秀スプリンターとなってしまいました。通算62戦26勝で引退です。晩成馬の爆発力半端ないぜ。
2001年

持ち馬がいなくなり、淡々と週送りを繰り返す日々。BGMをオフにするとテンポが非常に快適になるので、無印よりは楽ではある。そもそも、BGMを鳴らしただけであそこまでテンポが悪くなるというのが凄いんだが……
2002年

週送りを繰り返す日々は続く。サクラがダンシングブレーヴの牝馬を出産した。さすがに、あれだけの牝馬だといい種牡馬を付けてくれます。
2003年

初のセリ市。さすがに良血だけあって、お台からすでに1億円オーバー。2歳の方は1億5000万で買えたが、当歳のダンブレ牝馬は、アホみたいに値段吊り上げる奴がいて3億5000万の出費。ちょっと痛い。
2004年

3年半続いた週送りの日々に別れを告げて、いよいよサクラの初仔スミレ(牝、ダンシングブレーヴ×サクラ)がデビュー。しかし、2勝目が遠い……
2005年

スミレは4歳終了時点で26戦2勝。900万下に上がってからは、ほとんど5着以内にすら入れない状況です。その下のカンナ(牝、ダンシングブレーヴ×サクラ)も似たような感じ。多分どっちも晩成なんだろうけど、成長力は母の影響が強いのか?
2006年

相変わらず平凡な成績の2頭でしたが、年末に衝撃的な事実が発覚。どうやらカンナの方は、晩成ではなく単に弱いだけだった……。3億5000万円ドブカワ。
2007年

スミレが春にようやくオープン入り。しかし、その後はオープン特別すら勝てず、年末のターコイズSでようやく初勝利。母のサクラより丸一年遅れてます。この時点では、全く期待していなかったのだが……。一方、4歳のオオガミ(牡、ナリタブライアン×サクラ)の方は皐月賞で2着に入るなどまずまず。金が溜まったので、年末に瀬川牧場を開設する。
(つづく)
- 関連記事
-
-
3x3EYES ~吸精公主~ S 2019/10/16
-
悠久幻想曲 2012/04/29
-
太閤立志伝II 2018/07/07
-
花組対戦コラムス ヘタレ隊長日誌 前編 2012/01/29
-
セガガガ 前編「SGGG始動!」 2012/05/05
-
マスターズ 遙かなるオーガスタ3 2019/01/20
-
スポンサーサイト